第10回アジア芸術祭展示部門 鈴木吾郎展 

第10回アジア芸術祭展示部門 鈴木吾郎展

2008年9月30日~10月12日まで鄭州美術館(河南省首都)

(中国鄭州美術館主催・北京真友堂コンサルタント協力)

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テラコッタ室

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ど派手なオープニング
ギャラリートーク

 「第10回 アジア芸術祭・展示部門」に招待され2008年9月30日~10月12日まで鄭州美術館(河南省首都:人口600万人)で『鈴木吾郎彫塑展』を開催して来ました。期間中晴天に恵まれ1万数千人の入館者が有ったとの報告を美術館から受けました。当美術館では初めての彫刻:国際展と言うことで開幕式はじめ期間中はマスコミ(テレビ・新聞・ラジオ・WEB)の報道があり、幼児から老人めで沢山の来館者があり様々な交流をすることが出来ました。

 中国人の国民性は西洋に近く作者を見ると積極的に話し掛け質問を出して来ます。以前のフランス展と同じく会場に居ると引き回されて忙しい事でした。会期中、粘土によるワーク・ショップを二回(小学生と大学生)行いましたが、これは珍しかったのでしょう。新聞のトップ記事にもなっていました。

ブロンズ室
デッサン室

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北海道新聞11月

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ワークショップ
小学生のデッサン
テレビの取材

 オープニングではテレビ各社の取材がありビックリした。
それだけ珍しい事だったのだろう。

エントランス

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2008年10月の中国展記録(エピソード)  鈴木吾郎

 『第10回 中国アジア芸術祭』展示部門に招かれて、鄭州美術館で展覧会をして来ました。鄭州市は河南省の首都(人口600万人)で予想以上に大きな都市だった。およそ640㎡の会場(3展示室・エントランスルーム)でブロンズ19点、テラコッタ36点、デッサン30点、展示パネル10枚の出品で自分の個展では最大規模となった。特にテラコッタ会場は壁面を黒くして欲しいとの要望に応え、全面を真っ黒にしてスポットの照明に出来たのは何よりだった。飾り台も要求通りの寸法で作られ、色もテラコッタが黒ブロンズはグレーと塗り分けられており、図録も137ページの立派なものが発行されていて驚いた。

 *中国では何をするにもファジーで「せっぱ詰まらなければ動かない……」という現実を目にした。テラコッタの会場は260㎡の会場だったが、壁面を黒くする作業を前日にやっている。しかも五日前到着予定の作品がオープン前日になっても届かず、11:00頃今黄河を渡った……と言う連絡が入り、結局着いたのは15:00だった。それから開包し飾り台を並べ台座を置いて作品を展示するまでに23:00まで掛かった。聞くところに寄ると何時もそんな状態で人海戦術で徹夜作業をする由。「大丈夫開幕式には間に合わせますから……」という館長の言葉に従い23:00にホテルへ戻る。

 *確かに、翌日9:00に行ってみると見事に完成しており、巨大な看板やお花・赤い絨毯と華やかな会場が出来ていた。控え室で待っていると9:30迎えが有り玄関に出て行くと数段高い玄関の前には沢山の人が群がり、花や看板で飾られた壇上には9人分のテープ・カットの準備が出来上がっていた。好天に恵まれて華やかな雰囲気であった。定刻キッカリに式典が始まった。はじめに国からの代表者が挨拶し私が話しその後は知事や市長が続く。思い掛けない大袈裟な成り行きにとまどっている内にテープ・カットになり音楽と共にカットを終える。すると突然、両袖から金色の「紙吹雪」がもの凄い勢いで吹き上がり本当に吃驚してしまった。中国はこうした派手なことが好きなようだ。

 *中国では彫刻というと「モニュメント」をイメージするらしく、一般市民はテラコッタの小さな作品に親しみを覚えたようだった。確かに32mというステンレス製のモニュメントが街中に立っていて、ビルディングと共にハード面に力が入っている印象だった。美術館もお金を掛けて立派な建物であるが、学芸員もいなくて収蔵作品はほとんど無い印象を受けた。私は中国をはじめ東洋の古代作品から多くの影響を受けてきたが、肝心の中国では旧ソビエト彫刻の影響が強く、勢い巨大で宣伝性の強いモノになってしまう印象を受けた。

 *中国では「お金を出すが口も出す」と言うのがお国柄のようで、モニュメントはエスキースを上部機関が審査してお金を出すらしい。従って芸術性よりも宣伝性が強く作家がどんなに自分らしい作品を創りたくても作られない……ということも有るらしい。とは言え彫刻公園なども計画されており、機会が有ったら私にも参加して欲しいとの言葉が副市長からあった。

 *行く前に一番気掛かりだったのは、自分の作品が一般市民にどう受け取られるだろう!?と言うことだった。しかし一般市民は率直で開放的でフランスでの展覧会同様、作者を見るとドンドン話し掛けたり質問したりと非常に積極的だった。初日は大人が多かったが次第に小中学生・高大学生が多くなり、作品をスケッチしたり写真を撮ったりしている。「留言」と言ってメモ・ノートを置いておいたらメッセージが次々書かれ小学生までが感想を伝えて来た。ノート一冊がすぐに無くなり吃驚した。中国語なので内容は解らなかったが彼等の表情や物言いから気に入ってくれた様子が伝わって来る。

 *初日はマスコミ(TV・ラジオ・新聞・ネット等)が沢山来ており、TVのインタビューも有ったが、傍で小学生の女児がTVカメラに向かって蕩々と話している姿に感慨を覚えた。時代の変化はこの様なところから始まるのだろう。その後もワーク・ショップなどにマスコミの関心は強く、新聞一社はトップ記事に掲載してくれて関係者は喜んでくれた。

 *会期中2回(小学生と大学生に)粘土によるワークショップを行った。これが好評で20名という制限を超えて40名以上の参加者となった。中には潜りの大人も入っていて微笑ましかった。特に大学生には「彫刻における空間」について話しそれを課題とした。通訳が地元の大学生で今ひとつもどかしかったが興味深い作品も多数見受けられた。最後に「楽しかったですか?」との問いに、一斉に「ヘン・ガオシン(とても楽しかった)」と大声で応えてくれた事が嬉しかった。

 *期間中体の空いている日は午前・午後それぞれ1~2時間ほど会場へ行ってみたが、何時行っても入館者が多くそれもリピータが仲間を誘って来る……というように増えて行くのはこれまであまり見られない体験だった。最終日館長に入館者の人数を聞いてみたが、カウントはしていないらしく「少なく見積もって一日800人、多く見積もると1300人位だ……」と行っていた。会場内には制服の警備員が多数配置され作品に触らないように気を配っていた。

 *解せない事が二点あった。一点は折角作った図録を数日で販売が中止になったが、聞くところによると「政府がお金を出して作ったモノを美術館が許可を得ないで販売したのがダメだ……」と言うことらしかったが真相は分からない。残部が少なくなったのかも知れない。いずれにしても、お客さん本意には考えられない感じだった。もう一点はこの後に予定されていた深圳美術館での展示が突然中止されたことだ。色々聞いてみたが「……深圳で音楽関係のイベントで大事故があり40数名の死者を出したことから、文化事業のイベントが中止された……」との説明だった。どちらも日本では考えられない事であり納得出来ない気分だった。結果的に疲労が酷く深圳美術館での中止に救われた部分が有り助かったのだが……。

 *鄭州周辺は黄河を含め「中原(注)」という言葉が良く使われていたが、市内の博物館には数千年前からの文化遺産が展示されており、こちらは押すな押すなの盛況ぶりだった。現在中国人はこうした文化に飢えて居るのだろうか?たまたま10月1日は国慶節(改革開放30周年)で1週間の休暇が有ったことも大きな要因だったろうと思う。

 *展覧会以外では、建物などハード面はもの凄い勢いで建設されているが国民の意識(精神や心理面)ではまだまだ環境の変化に付いて行けなくて、交通マナーなどは非常に悪かった。赤信号の無視や強引な割り込みなどが多く道路の横断は神経を使う。意外な印象は電気バイクがとても多くて三週間居たがガソリンバイクは数台見かけただけだった。青い秋空で以前の環境とは大違いだった。これもオリンピック効果だろうか?

しかし住民は人懐こく「素朴な笑顔」でよく話し掛けられた。一般に言われている「反日感情」はまったく感じられなかった。早朝は近くの公園で太極拳や二胡(鼓弓)の練習をしておりそれぞれ和やかに交流している。こんな処から新しい中国の息吹を感じ取る事が出来た。

注:中国文化の発源たる黄河中流の南北の地域、すなわち河南及び山東・山西の大部と河北・陜西の一部の地域。